KEICONDO
陶芸家にはなりたくなかった
子供の頃から窯業が身近だったKEICONDOさんですが、当時は陶芸家にはなりたくないと思っていたそうです。
「古くから焼物が盛んだった土地で生まれ、陶芸家の息子として育っていくなかで、良い部分もありましたが陶芸から離れて暮らしたいという気持ちもありました。現実を知れば知るほど、自分が陶芸家になるというのは考えられなかったんです。でも、進学する段になり、とりあえずやってみようという気持ちで笠間陶芸大学校に入りました。いまは僕のアイデンティティとなっている黄色も、子供の頃から好きだった色を試行錯誤しながら器に仕立てていったものです。部屋中に置いてあるカロリーメイトも、黄色が好きだからストックしていても嫌じゃないんです(笑)」
ルーツの茨城県笠間市とエチオピア
陶芸に目覚めた父親が、エチオピアから日本へ移住してきて暮らし始めたのが笠間市。鎌倉時代に築城された「笠間城」の城下町としても栄え、北西部に八溝山系が穏やかに連なる美しい山並みに抱かれています。御影石などの石材や天然水などの資源に恵まれた場所です。関東で最も古い焼物「笠間焼」の産地として知られ、お隣の益子焼と同じく暮らしに身近な焼物として親しまれてきました。1950年には「茨城県窯業指導所」が設立され、現在は「笠間陶芸大学校」として多くの陶芸家を輩出しています。
そして、KEICONDOさんのもう一つのルーツが父親の出身地であるエチオピア。海外青年協力隊としてボリビアへ赴任した際にインカ文明に触れ、独自の作風である太陽を思わせるような鮮やかな色彩感覚へのアイデンティティを感じることができたといいます。
料理人に愛される太陽のような器
KEICONDOさんの器は、2023年3月に「Ace Hotel Kyoto(エースホテル京都)」で開催されたポップアップレストラン「noma kyoto(ノーマ京都)」などでも取り上げられ、世界のトップシェフやレストランからオーダーされているのが特徴です。
「私は素材や料理が生きる器が良い器だと思っています。テーブルでは、あくまでも料理が主役。彩りを添えるような、温かみのある色と形を追求しています。芸術的な料理でも、前の晩のパーティで食べ残したピザでも、料理を乗せると美味しそうに見える器。それが私の理想です。だから、シェフとの対話を通してイメージを固めていくことが多いし、そこから得た気付きを作品に落としこむので、料理人から好まれるのかもしれません」
From Artist
昔、ギャラリーに持ち込んだとき「黄色い器は難しい」と叱咤激励されました。それでも、自分が気持ち良いと感じる色を探して、土と釉薬、焼成の温度や時間を色々と試して、いまの色があります。そして、料理のトレンドなどもあって多くのシェフたちに愛用していただく機会も増えました。いまでは色つきの器もだいぶ市民権を得たのではないでしょうか。
私の作品はお皿でもフラワーベースでも、使う人のためにあると思っています。ですから私の製作は一人で黙々と考え続けるというより、コミュニケーションを取りながら模索して生み出されることも多いのです。いま、キッチン付きの宿泊施設も計画しているので、今後はもっと実験的でパワフルな作品を作れるようになると思います。どうぞお楽しみに!