小野澤 弘一 Onozawa Koichi
造形美を突き詰める作家 小野澤 弘一
父親が現代作家の陶器などを集めていたこともあり、陶芸作品が身近にあった小野澤さん。学生時代に作陶を経験したことで、陶芸家になることを意識し始めます。
「小さい頃から粘土をいじったり、画を描くことが好きで、心の片隅では陶芸家になることを意識していました。展示会で作家の方に会えると作品について色々とお話をうかがっていました。それがだんだんリサーチや勉強のような感覚になり、少しずつ“自分が作家だったら”という目線で話を聞くようになっていったのです。仕事をするなら好きなことで頑張ってみようと思い、大学を卒業した後に『多治見市陶磁器意匠研究所』へ入りました。陶芸の専門学校のような場所ですが、技術や知識の基礎を学べるだけでなく、授業や先輩方を通して作家性を意識するようになりました。大好きだった志野や織部など美濃焼の歴史を肌で感じることもできました」
陶芸の町「栃木県益子町」
小野澤 弘一(おのざわ こういち)さんは、益子町にアトリエを構えています。
栃木県と茨城県の県境に位置する益子町は「益子焼」の産地として有名ですが、そのルーツは茨城県笠間市にあります。笠間焼の開祖である「久野窯」で修行した大塚 啓三郎が益子町に移り、窯を作ったことで益子焼の歴史がはじまりました。明治時代までは日用品として重宝されていましたが、時代の隆盛によって需要が減少していきます。
大正時代に入ると民芸運動の陶芸家である濱田 庄司が益子で独特な作品を生み出しました。それらの作品を柳 宗悦(やなぎ むねよし)たちが民芸品として推奨したことで益子焼は再び注目されることになります。
現在でも陶芸の町として知られ、窯元や陶芸販売店の数は約250軒にものぼり、2023年に開催された「益子陶器市」には延べ36万人が来場しました。
幻の技術 陶胎漆器
小野澤さんの作品の特徴は、「陶胎漆器(とうたいしっき)」と呼ばれる幻の技術。
現代では「漆器」と言えば木彫りのお椀などに漆を施したものが一般的です。これを“木胎(もくたい)”漆器と言い、漆によって耐水性や耐久性などの機能と装飾性を高めています。
一方で現代の陶器には釉薬(ゆうやく)が使われています。素焼きした陶器に釉薬を塗り、高温で焼成(しょうせい)することによってガラス質に変化させています。しかし、一般的ではないものの古くは縄文時代から陶器にも漆が使われていました。土を焼き締め、漆を施すことで水の浸透を防ぎ、艶を出していたのです。その技術が「陶胎漆器(とうたいしっき)」。焼成技術の発展によって姿を消した幻の技法ですが、もともと粉引きや焼き締めの作品でも釉薬とは違う曖昧な表現を好んでいた小野澤さんにとって魅力的な技法でした。漆と出合ったことで陶胎漆器による表現を模索します。
From Artist
私の作品は、古く風化した陶器の魅力に迫りたくて、時間を進めるように何度も土を重ねてはエイジングをさせています。でも、ただ古いものに憧れて加工したのではイミテーションになってしまう。私の行為そのものを閉じ込めて、全部ひっくるめて新しい表情にするために、漆や錫を塗り上げるのです。時を重ねた作品に迫りたいという尊敬の気持ちと、偽物でごまかしたくないという相反する気持ちから生み出された風合いと言えるかもしれません。古来の器にも自然と歪んだもの、意図的に歪ませたものとありますが、私はその両方に魅力を感じます。一般的に左右対称の食器が少々歪むと失敗作扱いになりますが、歪みで生じる造形の動きを追求しています。歪みにさらに傾きが加わるとより面白くなります。きっと人間も一緒ですね(笑)