
挽物所639 Hikimonojo 639
挽物所639について
「挽物(ひきもの)」とは、木を丸く削り出すことで器や家具を作り出す日本の伝統技術。「挽物所639」は、伝統を守りつつも独自の解釈で現代的なアウトプットを続けています。機械化の流れによって職人が減少していくなか、その技術とクリエイティビティは世界からも注目を集めています。機械化の波に押され、手挽きの職人が減ってしまった挽物の可能性を探るべく「挽物所639」を立ち上げたのが百瀬 聡文(ももせ としふみ)さん。
「子供の頃から手先が器用でデザインの専門学校に行きました。就職するときに学校で紹介されたのが挽物所で、最初はどんな技術か知らずに弟子入りしました。でも、親方の仕事を見ているうちに、回転する木を削るだけで自由自在に美しい姿を生み出せることに感動しました。例えば同じ部材を1000本も削り続けていると、刃が木に当たる微かな音や指先のほんのわずかな振動しか感じなくなるんです。全身の神経や感覚が研ぎ澄まされて、物事の解像度がとても細かくなる。一通りの技術を身につけるまでにはある程度時間がかかりましたが、毎日木を削っていると感動するし、幸せです」
挽物とは
木地(キジ)師、轆轤(ロクロ)師、刳物(クリモノ)師。これらは基本的にすべて挽物師と同じ仕事をする職人を指す言葉です。木材をロクロと呼ばれる特殊な工具で回転させながら形を削り出す技術で、お盆やお椀などの生活用品、家具や仏具などの木工製品を生み出してきました。このロクロという技術を発明したのは、およそ1200年前の「惟喬親王(これたかしんのう)」だと言われています。天皇家の第1皇子として生を授かりながらも皇位継承争いに破れ、滋賀県小椋谷(おぐらだに)の地で暮らしました。その頃に経典の巻物の軸が回転する原理からロクロを発明したため、“ものづくりの祖”と言われています。仏塔などからはじまった挽物は、日本のものづくりの原点だと言えそうです。
静岡と挽物について
全国に広がった挽物という技術ですが、豊かな材木の多い静岡県は挽物の産地として知られるようになります。そのルーツとなったのが、材木商を営んでいた酒井 米吉(さかい よねきち)という商人。銘木を見極める優秀な商人でしたが、あるとき箱根の山で大怪我をしてしまい、あえなく廃業。木材の特性を見抜く素質はあったため、箱根の挽物職人から技術を学び、元治元年(1864年)に静岡市下石町で挽物業を開店しました。これが「静岡挽物」のはじまりと言われています。その系譜は70年代に100人ほどまでひろがり、現代へと受け継がれています。
百瀬 聡文より
アトリエには百瀬さんのほかに2名の職人がロクロに向かって木を削っています。大きな一本の木を削ることもあれば、いくつかの木材を組み合わせて削ることもあり、時には3人がかりで一つの作品を作ることもあるそうです。
「挽物って、削りすぎたらやり直せないんですよ。でも、甘く削れば野暮ったくなる。そのギリギリの境界線をイメージしながら、あるときピタリと頭で描いた線をトレースできるんです。削ってはじめて現れてくるシェイプや木目には宝探しのような楽しさがあります」